彼にとって結婚は、社内の立場を安定させ、親を安心させるものだったのだ。「私たちお互いにそんな結婚だったみたい」とA子さんは言う。彼女は、子どもでもいれば何かが変わるかもしれないと思ったそうだ。昼間退屈だし、姑も子どもはまだなの、と聞く。子どもがいれば夫とも少しはコミュニケーションが生まれるかもと感じ、病院を受診し、基礎体温をつけはしめた。やがて妊娠、出産。今、子どもは一歳になる。生活はまったく変わらず夫は忙しい。A子さんは孤独で子育てで外出もできなくなり、すっかり気持ちがおちこんでしまっている。この子さえいなければ、と思ったり、子どもをちっともかわいいと思えない自分に対し、なんてだめな母親、母親失格と思う。実家の母に来てもらい家事を手伝ってもらうのだが、毎日母や子どもにあたってしまい、この世から消えてなくなりたい、と思うほどおちこんでしまったのである。結婚でもするか、と思い結婚。何か違うと感じると子どもでもいれば、と思い子どもを産む。でも外的条件で自分の心の状態の杢質は変わらない。にもかかわらず外的条件をそろえること、条件を追求することに懸命になる女性がいる。A子さんもそんな状態なのである。外的条件を追求しようとする心の本質にあるのは、自己評価の低さである。自分にもっともふさわしく自分の生きたい道は何かとみきわめる能力が自己評価へつながるのだが、それを探る労力をおしんだり、址初から放棄してしまうことがこうした結果へつながるのである。「私なんか」「どうせ」という言葉で自分のアイデンティティーを探ることを放棄して、外的条件を追求し、他者から与えられた安全そうな切符を買ってしまうのだ。カウンセリングの場ではしばしばこうした場面に出会うことがある。神経症や気持ちのおちこみは自分のアイデンティティー、自分の生きたい道をふさぎ、抑えつけたことから生じることが多い。
[参考]
東京の教会挙式
http://www.le-anges.gr.jp/chapelle/wedding.html
東京の結婚式場
http://www.le-anges.gr.jp/